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那覇市: 歴史

那覇市: 歴史

=== 古代~近世 ===

那覇は国場川河口の港で、安里川河口の泊(とまり、現在は那覇市の一部)の港とともに、古くから琉球王国の首都・首里の貿易港として、東アジアや東南アジア一帯の中継貿易拠点として栄えてきた。
かつて那覇は国場川・安里川の河口の湾に散在した島々で、その一つの浮島は尚巴志王によって小さな港が整備されていた。
1451年(景泰2年)、尚金福王が明からの冊封使を迎えるため、中国人の懐機に命じて「長虹堤」と呼ばれる長さ1km に及ぶ堤道を建設させて沖縄本島の安里川側と繋いだ。
陸路交通が整備されたことから港としての発展が始まり、那覇四町(西・東・若狭・泉崎)と呼ばれる市街地が形成された。
近くの久米村には、今の中国・福建省などの地域からの「閩(びん)人三十六姓」(久米三十六姓)と呼ばれる移民が住み、これら三十六姓の末裔は、進貢使・通訳・造船など琉球の貿易と外交を支える仕事に従事してきた。
また倭寇などの襲撃からの防御のため、那覇港沖の海上にある島に城壁を築いて堤道を作り、国場川河口の那覇港の南北に防御用の砲台「三重城」(みえぐすく)「屋良座森城」(やらざもりぐすく)が完成した。
同時に、那覇港の中央の島には御物城と呼ばれる貿易用倉庫が造られている。さらに那覇港の対岸にあたる南側の垣花などにも市街地や港湾が広がった。(那覇港の南岸は第二次大戦後更地になり、米軍の那覇軍港となっている。)
久米村、長虹堤、三重城など那覇の名所は中国人により「球陽八景」と謳われ、葛飾北斎の浮世絵「琉球八景」にも描かれているが、島だった那覇は土砂の堆積により琉球王国末期には本島につながっている。

==== 琉球処分 ====
近代以後も沖縄県の物資集積地、商業都市として繁栄し、海が埋め立てられ那覇は完全に地続きとなった。しかし、1944年10月10日の十・十空襲と、1945年4月から始まる沖縄戦により市街地は完全に破壊された。

明治
1879年(明治12年) - それまで那覇四町と呼ばれていた西・東・若狭・泉崎へ、新たに泊・久米・久茂地を編入。
1880年(明治13年) - 沖縄県庁を置く。
1896年(明治29年) - 沖縄県区制の施行により、那覇区となる。那覇四町(東村、西村、若狭町村、泉崎村)と久米村、泊村からなる。( 沖繩縣ノ郡編制ニ關スル件(明治29年勅令第13号))
1903年(明治36年) - 島尻郡真和志間切から牧志村、小禄間切から垣花地区(湖城村と儀間村の一部)を編入。
1908年(明治41年)4月1日 - 島嶼町村制施行に伴い、周辺の各間切が町村に。
大正
1914年(大正3年)- 島尻郡真和志村から壺屋地区を編入、新規埋立地を旭町と命名し編入。
1916年(大正5年)- ドイツ帝国の上海-ヤップ間海底ケーブルを切断して、那覇-ヤップ線に流用。
1921年(大正10年)
5月20日 - 特別区制を廃止し、市制を施行して那覇市となる。
12月19日 - 市章を制定する。
1925年(大正14年)4月10日 - 前年度から続く市議会の空転を問題視した県知事が内務大臣に市議会解散の意見書を送付。内務大臣が那覇市会に対して解散命令を発出。
昭和
1929年(昭和4年) - このころに那覇市歌を制定(戦災で関連資料が失われ、正確な時期は特定に至らず)。
1944年(昭和19年)10月10日 - 那覇を中心とした沖縄県への米軍の大空襲(十・十空襲)により、壊滅的被害を受ける。
1945年(昭和20年) - 太平洋戦争での空襲および陸上戦(沖縄戦)により街が壊滅。首里城も破壊された。米軍の全面占領下となり、立入禁止に。

==== 第二次世界大戦以降 ====
戦後は、旧那覇市中心部は米軍の管理下に置かれ、軍施設から1マイル以内は立ち入りが許されず、住民の多くは県北部の収容所に移されていた。生活物資不足の解消のため、1945年11月、那覇市壷屋地区の窯業関係者たちがまず帰郷を許され、103人の職人が入市。さらに12月には牧志地区の瓦職人ら136人が入市した。続いて家族や親類縁者が移り住み、これにまぎれて許可のない住民も次々と那覇に住み着いたため、壷屋から新県道(現在の国際通り)の一帯に次々と集落が生まれ、闇市も自然発生的に拡大した。

こうした中、住民の高良一が米軍と直接交渉し、米軍の物資集積所があった新県道沿いの土地(現在のてんぶす那覇あたり)に1948年1月ごろ、映画館「アーニー・パイル国際劇場」を開館させた。以後、周辺は商業地として急速に発展し、新県道は「国際通り」として「奇跡の1マイル」と呼ばれるようになる。

昭和戦後
1945年(昭和20年)11月 - 産業復興を名目として陶器製造産業先遺隊が壺屋へ入る。
1946年(昭和21年)1月3日 - 糸満地区管内壺屋区役所が設置され、復興が本格化。その後、民政府などの中央機関が那覇へ移転。
1947年(昭和22年)3月 - 住民の昼間通行が許可される。以降壺屋にほど近い開南の周辺に青空市が立ち始める。
1949年(昭和24年)12月9日 - シーツ米軍政官が「那覇を沖縄の首都とする」と発表。
1950年(昭和25年)8月1日 - 島尻郡みなと村を編入。
1954年(昭和29年)9月1日 - 首里市及び島尻郡小禄村を編入。
1956年(昭和31年)- 立法院で首都建設法が制定され、琉球政府・沖縄の首都としての整備が開始される。
1957年(昭和32年)12月17日 - 真和志市を編入。
1965年(昭和40年)9月1日 - 市旗を制定する。
1972年(昭和47年)5月15日 - 沖縄返還により本土復帰。自衛隊員の家族の住民票拒否など憲法違反の行動を取り、問題となった。
1975年(昭和50年)4月1日 - 中頭郡西原町の一部を編入。
平成
2003年(平成15年)8月10日 - 沖縄県における戦後初の軌道法による鉄道、沖縄都市モノレール(ゆいレール)が開業。
2009年(平成21年)9月24日 - 老朽化した市役所本庁舎を解体し、新たに建設する(2012年12月完成予定)ため、那覇新都心の仮庁舎に一時的に移転。
2010年(平成22年)4月3日 - 那覇市営奥武山野球場(沖縄セルラースタジアム那覇)が落成。
2013年(平成25年)4月1日 - 沖縄県内で初の中核市に移行。
2017年(平成29年) - 那覇市歌に戦後の市域拡大を反映した4〜7番を増補。

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Quelle: Text: Wikipedia – „那覇市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: NORTLAUKAU 26088 JP, CC0 – Wikimedia Commons