四日市市: 歴史
古くはヤマトタケルノミコトが東征の帰途に通過したという伝説が残る。古墳時代から栄え、市内には土器窯や土器片出土地が分布する。また、飛鳥時代には壬申の乱で大海人皇子が兵を集めたと言われる。
現代での四日市市街にあたる地域は、平安時代後期まではごく小規模な集落が存在するのみであった。しかし鎌倉時代から室町時代にかけて建立された寺が多いことから、その頃に発展を始めたものと考えられる。平安時代になり平安京が都となると、千草峠や八風街道から鈴鹿山脈を越えて近江・京都方面との往来が盛んとなり、伊勢商人や近江商人が峠越えをして活発に商いを行った。
室町時代:『氏経卿引付』の中で、1473年(文明5年)に「四箇市庭浦」と見え、市場と港町がすでに形成されていたと考えられる。3年前の1470年(文明2年)に赤堀一族の田原忠秀によって浜田城が築城された際、それまで芝田を通っていた東海道が東へ付け替えられ、東海道沿いに南市場・北市場、東海道に直交して港へ向かう道沿いに縦市場が開設された。四の付く日に市場が開かれたため、これが「四日市場」「四日市」の由来になったとされる。
安土桃山時代:1575年(天正3年)に織田氏の宿老である滝川一益が領主となる。1582年(天正10年)の本能寺の変では尾張国知多郡大野へ逃亡する徳川家康を四日市の廻船問屋が手助けし、その恩としてのちに江戸幕府直轄領(天領)になったとする伝承があるが、実際は家康自身が陸海の要地であると認めたためと考えられる。本能寺の変後は織田信雄、豊臣秀次、氏家行広が領主となり、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後に幕府領となった。
江戸時代:1601年(慶長6年)に徳川家康が東海道に伝馬制(東海道五十三次)を定めると、四日市宿として本陣や宿駅が設置された。尾張国愛知郡の宮宿(熱田)と十里の渡しで繋がり、南方の日永の追分でお伊勢参りの伊勢街道が分岐することもあって、規模の大きい宿場町となった。また、1603年(慶長8年)には代官の水谷光勝によって四日市陣屋(代官所)が造営され、商業や廻船業のみならず北勢地方の行政の中心地となった。1724年(享保9年)に郡山藩(郡山柳沢家)領となったが、1801年(享和元年)に再び幕府領となり、近江国甲賀郡の信楽代官である多羅尾氏支配となった。1850年代の安政の大地震によって港が壊滅し、廻船業が衰退していく。忍藩の奥平松平家の飛び地支配下の大矢知陣屋へ塩役運河から八風街道を使用する運搬方法で年貢米の物資が運ばれて、伊勢漁網のアミカン・平田紡績など漁網の生産拠点となった。
四日市の別称・美称として、孔子ゆかりの地名(山東省泗水県)にあやかった「泗水(しすい)」がある。当地の陣屋に勤務していた郡山藩士城戸賢が、1803年(享和3年)に刊行した詩集『東帰稿刪』に「泗水行」とする一編を載せたのが、確認できる最初とされる。一説には、江戸時代に四日市町(四日市宿)にあった4つの井戸を指して「泗水(の井戸)」と呼んだという。なお、三重郡と四日市市の範囲を指して「三泗(地区)」と呼ぶ表現がある。
港の基礎は、幕末から明治初期に廻船問屋の稲葉三右衛門(1837年(天保8年)-1914年(大正3年))が私財を投じて整備した。周辺住民の反対など様々な困難があったが、四日市港の礎を造った偉人としてJR四日市駅前に銅像が建てられている。
1870年(明治3年)9月18日 - 海水面が上昇(高潮?)し、海船が漂って松林に突き入る。溺死者多数。
1872年(明治5年) - 安濃津県の庁舎が津より移転して県庁所在地となる。郡名の三重にちなんだ三重県に県名を変更。
1873年(明治6年) - 三重県庁が津に戻る。県名は変更なし。
1884年(明治17年) - 四日市が築港されて四日市港(稲葉町・高砂町の旧港)が完成。1889年(明治22年)に特別輸出港に指定。
1888年(明治21年) - 四日市に関西鉄道が設立。木曽三川の橋の建設が開始。
1894年(明治27年)7月5日 - 関西鉄道の四日市⇔桑名仮停車場間が開通。東海道本線の草津駅までが繋がる。
1895年(明治28年)5月24日 - 関西鉄道の桑名仮停車場⇔桑名間が延伸。名古屋⇔前ヶ須(弥富)間が開通。
1895年(明治28年)11月7日 - 関西鉄道の桑名⇔前ケ須(弥富)間が開通。初めて愛知県へ陸上移動することが可能となった。
1897年(明治30年)8月1日 - 現在の市章となる町章を制定。
1929年(昭和4年)1月30日 - 伊勢電気鉄道(現在の近畿日本鉄道)により四日市⇔桑名間が開通。
1933年(昭和8年)11月8日 - 現在の桑名市長島町⇔愛知県弥富市との間の木曽川に尾張大橋が開通し供用を開始。
1934年(昭和9年) - 現在の桑名市長島町⇔桑名市中心部との間の長良川と揖斐川に伊勢大橋が開通し供用を開始。これにより徒歩や自動車によって愛知県へ陸上移動することが可能となった。
1935年(昭和10年) - 三重日日新聞・勢州毎日新聞の2紙が初代「四日市市歌」および「四日市音頭」を選定し、市に寄贈した。
1936年(昭和11年) - 新四日市港(末広町・尾上町・千歳町など)の完成を祝い、国産振興四日市大博覧会が開催。
1938年(昭和13年)6月26日 - 関西急行電鉄(現在の近鉄)により桑名⇔名古屋間が開通。
1939年(昭和14年) - 第二海軍燃料廠が塩浜地区に着工。1941年(昭和16年)に操業を開始。
1942年(昭和17年)4月18日 - 空母発進の米陸軍機16機がドーリットル空襲で初空襲。
1945年(昭和20年)6月18日 - 四日市空襲で、アメリカ軍のB-29による空襲を受け、市街地の大半は廃墟と化す。死者は808名。
1945年(昭和20年)8月8日 - 千歳町の千歳橋付近と塩浜町の海軍燃料廠付近に模擬原爆のパンプキン爆弾が投下。
1951年(昭和26年)1月23日 - 在日朝鮮人による四日市事件が発生。
1951年(昭和26年)11月 - 昭和天皇が伊勢行幸で市内の四日市奉迎場(東洋紡績四日市工場跡地の北条グランド)・山本重工・平田紡績・東洋紡績富田工場・山庄製陶・熊沢製油・日本板硝子・伊藤伝七邸・三重郡奉迎場(楠町立楠中学校)・四日市港を視察。
1957年(昭和32年) - 市制60周年。2代目「四日市市歌」を制定、市民音頭として「新四日市音頭」を発表。
1960年(昭和35年) - 海軍燃料廠跡地に日本初の石油化学コンビナートが稼働。同年より1972年(昭和47年)にかけて公害運動が広がる。石油系企業と化学系企業の四日市コンビナートより排出された煤煙により、四大公害病の一つ、四日市ぜんそくの被害が広がる。その後平成期の2015年に四日市公害と環境未来館が創設された。
1972年(昭和47年) - 公害訴訟で住民側が勝訴。昭和49年に皇太子明仁親王が四日市公害患者の現状を見舞い工場関係の視察をする。
1975年(昭和50年)10月28日 - 第30回国民体育大会に出席するために来県した昭和天皇、香淳皇后が四日市市体育館、県公害センター、市役所を行幸啓。
1982年(昭和57年)4月 - 市民憲章が制定。
2000年(平成12年)11月1日 - 特例市に移行。
2008年(平成20年)4月1日 - 保健所政令市に指定。
2020年(令和2年)- 四日市ナンバーの自動車番号が交付される。
2022年 - 令和4年4月4日を『四日市の日』に制定。
2023年(令和5年)- 近鉄四日市駅再開発事業の諏訪栄町周辺の東側の中央通り工事開始。新四日市市立図書館設計計画とJR四日市駅前地区に大学誘致計画を立案。
2025年(令和7年)9月11日 - 記録的な集中豪雨で近鉄四日市駅前の道路や商店街など一帯が冠水。地下駐車場で自動車約280台が水没した。 …