Heimatgeschichte · Kume ·

久留米市: 歴史

久留米市: 歴史

律令制下で制定された令制国の一つである筑後国の国府が置かれ、以後、筑後国の中心として栄えた。平安時代末期の長寛2年(1164年)、肥前国の豪族草野永経が現在の草野地区(旧草野町)に入り、以後約400年間、北部の山本郡は草野氏が支配し、南部の三潴郡は筑後十五城筆頭の柳川の蒲池氏と久留米市西牟田の西牟田氏が支配してきた。
天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州国分の結果、筑前・筑後と肥前のそれぞれ一部を与えられた小早川隆景の養子・秀包が久留米城に入った。関ヶ原の戦いの結果秀包は改易され、石田三成を捕らえた三河国岡崎城主田中吉政が柳川城に入り、筑後一国を治めた。元和6年(1620年)、柳川2代目藩主田中忠政が死去すると田中家は無嗣断絶となった。田中領筑後一国は南北に分けられ、うち北部に有馬豊氏が丹波国福知山(現在の福知山市)から加増移封され、以後久留米は有馬氏の統治による久留米藩の中心地となった。江戸時代は藩の殖産興業策もあり久留米絣など、商業都市として発展する。
廃藩置県によって久留米県の県庁所在地となったが、1871年(明治4年)に三潴県に統合され、1876年(明治9年)に三潴県が福岡県に統合されたため県庁所在地ではなくなった。
1897年(明治30年)に第12師団が市内に衛戍地を築いたが、1907年(明治40年)に新設された第18師団の衛戍地となる。
1925年(大正14年)に宇垣軍縮により第18師団が廃止されると、小倉より再び第12師団が移転した。この間、市街は軍都としても膨張、1922年(大正11年)に始まった地下足袋生産がゴム化学工業の発展に結びつく。
太平洋戦争末期、1945年(昭和20年)8月11日の久留米空襲により死者214名、焼失戸数4,506戸を出した。
1949年(昭和24年)5月28日、昭和天皇が日本タイヤ工場、久留米医科大、日華ゴム工業、戦災者引揚者住宅などに行幸(昭和天皇の戦後巡幸)。

1953年(昭和28年)6月に九州一帯を襲った昭和28年西日本水害では、筑後川にかかる橋梁の流出や氾濫が発生。特に、宮の陣付近で発生した堤防決壊個所からは、濁流が櫛原町、篠山町を襲い多くの家屋が浸水した。
1960年(昭和35年)3月19日、国立療養所久留米病院で火災。精神科病棟など3棟が全焼し、入院患者11人が焼死した。病院は1994年(平成4年)に国立病院機構九州医療センターとして福岡市へ移転、統合された。

1911年(明治44年)9月13日 - 市章を制定する 。
1951年(昭和26年) - 「久留米市の歌」を制定。
2001年(平成13年)4月1日、特例市に指定。
2005年(平成17年)2月1日 - 市域拡大を記念し「ふるさとのささやき 〜新久留米市の歌〜」を制定、市歌が2曲並立となる。
2008年4月1日、中核市に移行。
2015年11月2日 - 久留米市を中枢都市とし、大川市・小郡市・うきは市・三井郡大刀洗町・三潴郡大木町と「連携中枢都市圏」を形成することを宣言する。

※【編入】とあるもののうち、特記ないものは久留米市への編入。

1889年(明治22年)4月1日 - 市町村制度発足により、久留米市が市制施行。日本で最初に市制施行した31市のひとつ。当時は日本で一番人口の少ない市であった。
同時に、現在の市域にあたる以下の町村が発足。
御井郡弓削村・金島村・大城村・北野村・宮ノ陣村・御井町・櫛原村・高良内村・合川村・国分村・山川村・上津荒木村
山本郡草野村・山本村・大橋村・善導寺村
三潴郡鳥飼村・荒木村・安武村・大善寺村・城島村・青木村・江上村・犬塚村・三潴村
竹野郡田主丸町・水分村・川会村・柴刈村・水縄村・竹野村・船越村
1894年7月21日 - 【町制施行】草野村 ⇒ 草野町
1896年2月26日 - 郡区町村編制法により、御井郡・山本郡 ⇒ 三井郡、竹野郡 ⇒ 浮羽郡となる。
1900年5月31日 - 【町制施行】城島村 ⇒ 城島町
1901年4月9日 - 【町制施行】北野村 ⇒ 北野町
1917年(大正6年)10月1日 - 【編入】鳥飼村
1922年8月1日 - 【町制施行】国分村 ⇒ 国分町
1923年8月1日 - 【編入】櫛原村
1924年11月1日 - 【編入】国分町
1939年(昭和14年)2月11日 - 【町制施行】大善寺村 ⇒ 大善寺町
1940年2月11日 - 【町制施行】善導寺村 ⇒ 善導寺町
1943年10月1日 - 【編入】御井町
1949年9月1日 - 【町制施行】荒木村 ⇒ 荒木町
1951年4月1日 - 【編入】合川村・上津荒木村・山川村
1951年4月1日 - 【対等合併】川会村・柴刈村 ⇒ 筑陽村
1951年6月1日 - 【編入】高良内村
1954年12月1日 - 【対等合併】田主丸町・水分村・筑陽村・水縄村・竹野村および船越村(のちの吉井町、現うきは市)の一部 ⇒ 田主丸町
1955年1月1日 - 【対等合併】荒木町・安武村 ⇒ 筑邦町
1955年2月1日 - 【対等合併】城島町・青木村・江上村 ⇒ 城島町(新町制)
1955年3月1日 - 【対等合併】北野町・弓削村・大城村・金島村 ⇒ 北野町(新町制)
1955年7月20日 - 【対等合併・町制施行】犬塚村・三潴村 ⇒ 三潴町
1956年9月30日 - 【編入】大善寺町 ⇒ 筑邦町
1958年9月1日 - 【編入】宮ノ陣村・山本村
1959年4月1日 - 【編入】大橋村 ⇒ 善導寺町
1960年7月1日 - 【編入】草野町
1967年2月1日 - 【編入】筑邦町
1967年4月1日 - 【編入】善導寺町
1989年(平成元年)2月28日 - 三潴郡三潴町が筑後市と境界変更
1989年6月28日 - 三潴郡城島町が大川市と境界変更
1989年9月27日 - 八女郡広川町と境界変更
1991年2月27日 - 一部を八女郡広川町に編入(境界変更)
1992年12月15日 - 小郡市と境界変更
1994年9月13日 - 久留米市及び三潴郡三潴町が境界変更
1995年4月14日 - 三井郡北野町が三井郡大刀洗町と境界変更
1996年2月26日 - 筑後市の一部を編入(境界変更)
1996年2月26日 - 八女郡広川町と境界変更
1996年2月26日 - 浮羽郡田主丸町が浮羽郡吉井町と境界変更
1997年4月23日 - 三井郡北野町が三井郡大刀洗町と境界変更
1998年12月18日 - 三潴郡城島町が大川市と境界変更
2000年8月31日 - 三井郡北野町が三井郡大刀洗町と境界変更
2001年3月12日 - 浮羽郡田主丸町が朝倉郡朝倉町及び浮羽郡吉井町と境界変更
2001年4月1日 - 特例市に移行
2001年6月4日 - 三潴郡城島町が三潴郡大木町と境界変更
2003年2月14日 - 三潴郡三潴町が筑後市及び三潴郡大木町と境界変更
2003年2月14日 三井郡北野町が小郡市と境界変更
2003年2月14日 三井郡北野町が三井郡大刀洗町と境界変更
2003年4月8日 - 八女郡広川町と境界変更
2005年2月5日 - 【編入】北野町・三潴町・城島町・田主丸町
2008年4月1日 - 中核市に移行

== 行政 ==

原口新五(2期目)
任期:2030年1月30日

久留米市保健所

福岡法務局久留米支局
福岡地方裁判所久留米支部
久留米簡易裁判所
福岡家庭裁判所久留米支部
福岡地方検察庁久留米支部
久留米区検察庁
久留米検察審査会
福岡国税局久留米税務署
長崎税関本関三池税関支署久留米出張所
久留米公共職業安定所(ハローワーク久留米)
久留米労働基準監督署
久留米年金事務所
福岡運輸支局久留米自動車検査登録事務所
九州地方整備局筑後川ダム統合管理事務所
九州農政局福岡地域センター久留米支所
北部九州土地改良調査管理事務所

福岡県久留米総合庁舎
久留米県税事務所
北筑後保健福祉環境事務所(分庁舎)
筑後労働者支援事務所(子育て女性就職支援センター)
パスポートセンター久留米支所
両筑家畜保健衛生所
筑後県民情報コーナー
久留米県土整備事務所
久留米商工事務所
福岡県久留米児童相談所
筑後川水系農地開発事務所 …

von Fremdinhalte · Regionauts

Quelle: Text: Wikipedia – „久留米市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Muyo, CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons