福島市: 歴史
=== 沿革 ===
福島盆地は20万年前の更新世中ごろに現在まで断続的に続く南部の沈降運動により誕生した堆積盆地である。
現在の福島市域の人類の足跡としては、約3万年前に作られたと考えられている打製石器が平林遺跡から発掘されているほか、市内各地から石器が出土している。学壇群遺跡からは特に多く出土しており、打製石器の制作場所と考えられている。
福島市内で出土した縄文土器として最古のものは、南諏訪原遺跡から出土した微隆起線文土器と仙台内前遺跡の爪形文土器であり、ともに1万2,000年から1万年前のものとされている。縄文後期の宮畑遺跡からは計画的なムラの跡が確認されており、食や狩猟の様子も窺い知ることができる。
福島市内では、弥生時代の遺跡である勝口前畑遺跡や台畑遺跡から水田跡が発見されており、市内の広域において稲作が行われていたことが確認されている。勝口前畑遺跡から朝鮮半島で製造された勾玉が出土しており、広域な交流が行われていたようである。円墳「月ノ輪山1号墳」から出土した頭椎大刀から6世紀終わりごろから7世紀初頭には大和朝廷の支配下にあったと考えられており、7世紀初めごろには大和朝廷支配下に特徴的な前方後円墳が阿武隈川沿いにまとまって造られている。
718年(養老2年)後、大和朝廷の勢力圏の拡大とともに陸奥国も北進して現在の宮城県域まで拡大したため、一時的に現在の福島県の地域は新陸奥国(ほぼ現在の宮城県)と分離して石城(いわき)国(ほぼ現在の福島県浜通)と石背(いわせ)国(ほぼ現在の福島県中通りと会津)に分割した。
724年(神亀元年)までに分割した新陸奥国だけでは、蝦夷防備を担うだけの経済力に不足していたため、再び石城国、石背国と合併して元の陸奥国にもどされた。
律令制で道国郡制が整備されたとき、当初は現在の福島市とほぼ同じ地域と伊達郡・伊達市の地域を合わせて信夫郡(しのぶぐん)だった(古代には信夫は忍とも表記された)。しかし、10世紀前半に信夫郡から、伊達郡を分割した。当時、律令制の租庸調の課税を整備する必要性から、各郡の人口をほぼ均一にするために、朝廷が郡の分割や住民の強制移動を全国的に行った。特に朝廷から見れば開拓地であった陸奥国では、こうした再編成が盛んだった。この分割では、旧信夫郡のうち、小倉郷、安岐(安芸)郷、岑越(みねこし)郷、曰理(わたり)郷は新信夫郡となり、伊達郷と靜戸(しずりべ)郷と鍬山郷の3郷が新しく伊達郡となった。
小倉郷とは、大森川の南で阿武隈川の西の地域 - 現在の大森、平田、松川、水原、荒井、土湯、金沢、関谷、浅川、下川崎など。
安岐(安芸)郷とは、松川(現在の祓川流路)と阿武隈川と大森川に囲まれた地域で、現在の福島、曾根田、腰浜(こしはま)、五十辺(いがらべ)、小山荒井、杉妻(すぎのめ)、吉井田、庭坂、庭塚、野田、水原、佐倉など。
岑越(みねこし)郷とは、松川(現在の祓川流路)と阿武隈川、摺上川に囲まれた地域で、現在の清水、鎌田、瀬上(せのうえ)、余目(あまるめ)、大笹生、笹谷、飯坂、中野など。
曰理(わたり)郷とは、阿武隈川東岸地域で、現在の渡利、小倉寺、岡島、岡部、山口、大波、下小国、上小国など。
なお、現在の信夫山を当時は岑越山と呼び、その山麓地域である宿場(現在の福島市の縁起)の地名も岑越であった。
平安時代
平安時代初期 - このころ、大蔵寺の木造千手観世音菩薩立像が造られたといわれている。
平安時代後期 - 東北地方のほぼ全域が奥州藤原氏の勢力圏となった。
1180年(治承4年) - 平氏追討のため関東に向かった源義経に、信夫郡飯坂の住人・佐藤継信、佐藤忠信の兄弟が付き従う。
1189年(文治5年) - 源頼朝が奥州へ侵攻。途中、信夫郡石名坂にて信夫庄住人・佐藤基治を打ち破る。(石那坂の戦い)
1413年(応永20年) - 伊達持宗(松犬丸)が大仏城(後の福島城)へ立て籠もり、鎌倉公方に対して反乱を起こす。
1542年(天文11年) - 天文の乱が起こる。大森城周辺が戦場となる。
1592年(文禄元年) - 蒲生氏郷の家臣木村吉清が居城を大森城から杉目城(別名大仏城)へ移し、杉目城を福島城と改称する。
1600年(慶長5年) - 伊達政宗と上杉氏家臣の福島城主本庄繁長等が松川で戦った(松川の戦い)。 信夫山の北を東流する現在の松川と当時の松川は流路が異なり、信夫山の南側を流れる現在の祓川が当時の松川の痕跡と言われる。したがって松川の戦いは、現在の信夫山南麓から福島市中心市街地一帯で戦われた。
1664年(寛文4年) - 信夫郡が上杉領から福島20万石の天領となる。
1679年(延宝7年) - 本多忠国、大和郡山藩から福島15万石で入封となり、福島藩が成立した。
1686年(延宝7年) - 堀田正仲、出羽山形藩から福島10万石で入封。
1702年(元禄15年) - 板倉重寛、信濃坂木藩から福島3万石へ入封。
1749年(寛延2年) - 寛延の惣百姓一揆。
1787年(天明7年) - 下村藩1万石が立藩される。
1823年(文政6年) - 下村藩が廃藩する。
1830年(天保元年) - 中合が現在の荒町に創業する。
1868年6月10日(慶応4年9月2日) - 北町の金沢屋にて長州藩士世良修蔵を含む数人が襲われ、阿武隈川で斬首される事件。奥羽越列藩同盟結成の契機となった歴史的事件である。
1868年10月17日(慶応4年4月20日) - 福島藩主板倉勝己が薩長軍に降伏し、福島城を渡辺清左衛門に引き渡す。 …