市原市: 歴史
=== 古代 ===
律令制以前この地域には、上海上国造が上総国海上郡(現在の市原市の一部)を支配していたとされている。養老川流域には、3世紀の出現期古墳(纒向型前方後円墳)である神門古墳群や、王賜銘鉄剣を出土した稲荷台1号古墳があり、古くからヤマト王権と緊密なつながりがあったことが想定される。『万葉集』巻第十四東歌の筆頭に「夏麻引く海上潟の沖つ渚に船はとどめむ小夜ふけにけり」とあり、水上交通の要衝であったともされる。養老川下流南岸の姉崎古墳群は上海上国造一族の墳墓とされ、4世紀後半の全長130メートルの姉崎天神山古墳、5世紀前半の全長86メートルの釈迦山古墳に続き、5世紀後半には全長103メートルの姉崎二子塚古墳が造営されている。
律令制において令制国である上総国が成立し、東海道に属する一国となった。上総国は、国守に必ず親王が補任される親王任国となり、国級は大国にランクされた。親王任国の国守となった親王は「太守」と称し、官位は必然的に他の国守(通常は従六位下から従五位上)より高く、親王太守は正四位以上とされた。親王太守は現地へ赴任しない遙任だったため平高望、良兼や菅原孝標がそうであったように、国司の実質的長官は上総介であった。
上総国の国司が政務を執る国府(中心地域)は市原市の国分寺台から能満にかけての一帯だったと推定される。市原市国分寺台から国分寺跡、国分尼寺跡が発掘されているが、国府の遺構はまだ見つかっていない。中世の国府は市原市能満(府中)にあったと考えられている。
上総国分寺は現在の国分寺と重複している。周囲に谷や古墳があるため寺域は四角形ではない。南北478メートル、東西は北辺:254メートル・中央:345メートル・南辺:299メートル、面積は139,000平方メートルに及ぶ。主要な伽藍地は南北219メートル、東西194メートルで、大官大寺式の伽藍配置。上総国分尼寺は1989年(平成元年)まで行われた発掘調査で、柱の位置の確認などで主要伽藍の構造を含めた全容が解明されたことから、建物跡の完全な復元が可能とされた。これを踏まえ、かつての中門が奈良時代の工法を再現する形で復元。合わせて「史跡上総国分尼寺跡展示館」が建設され(1993年(平成5年)8月1日開館)、復元建物と共に一般公開されている。
中世においては千葉氏の勢力下にあったが、千葉氏の勢力が次第に衰えると、里見氏などの新興勢力の伸張を許した。現在の千葉市生実町に館を構えた小弓公方足利義明も、一時期この地に拠っており、その時の御所があったとされる場所は、五所という地名として残っている。
近世の幕藩体制下では五井藩、鶴牧藩、旗本の陣屋として伊丹陣屋が知られている。
1871年(明治4年)7月の廃藩置県では菊間県、鶴牧県、鶴舞県が成立。その後同年11月の府県統合で木更津県に、1873年(明治6年)に印旛県や新治県の一部と合併して千葉県が成立した。現在の市原市は市原郡のほぼ全域を市域としているが、1889年(明治22年)の時点で171箇村が確認されている。これが1945年(昭和20年)までに5町16村にまとまり、更に昭和の大合併期である1954年(昭和29年)から1961年(昭和36年)にかけて姉崎町、市原町、五井町、市津町、南総町、三和町、加茂村の5町2村にまで統合された。
1963年(昭和38年)に大千葉市建設を目論んで、当時の千葉市長宮内三朗が五井町長に千葉市への編入を提案したが、もともと市原郡5町での合併を提案していた五井町長は反対し、さらに対抗策として姉崎町と五井町の2町が合併して南葉町(なんようちょう)を組織することを発表した。しかし結局、千葉県知事の提案により市原郡5町が提案されたことで南葉町発足の計画は中止となり、町合併による新設という形で新自治体を組織することが決定した。市名決定にあったって、当時市原郡内で2大勢力となっていた五井町と市原町との間で「五井市」とするか「市原市」とするかで争われたとされるが、最終的には郡名でもある「市原」を採用することに決定した。その代わり、行政機関の中央は、最も発展していた旧五井町におき、市執行部の主要人事は、合併5町の中で市原町に続く規模であった旧姉崎町からとした。このような経緯がありつつ、1963年(昭和38年)5月1日に市原市が誕生した。
戦後に東京湾岸の埋め立てが進み、市原市は千葉港の一角に組み込まれた。市原市では特に石油産業などの化学工業を主とする企業の進出が多い。なお、高度成長期には、全国の工業地区と同様に、公害が多く発生しており、1974年(昭和49年)5月には、市原市立姉崎公民館(旧所在地)付近にある市原姉崎測定局にて、光化学オキシダント濃度が0.50ppmを超え、直ちに千葉県内で初となる光化学スモッグ警報が出された。1980年(昭和55年)3月31日に防災行政無線が開局している。2005年(平成17年)4月1日に防災行政無線の夕方のチャイム「ハッピー市原」が放送開始。かつて存在した地方自治法第252条の26の3第1項に定める政令による特例市になる要件を満たしていたが、特例市にはならなかった。2017年11月にGSSPに市原市田淵の養老川沿いの露頭で見られる、約77万年前の地層(千葉セクション)が内定し、2018年には「養老川流域田淵の地磁気逆転地層」の名称で国の天然記念物に指定された。
町村制施行後からの年表は以下の通りである。
1889年(明治22年)
町村制施行により、市原郡八幡町、五井村、千種村、鶴牧村、東海村、海上村、菊間村、湿津村、市東村、市西村、養老村、戸田村、明治村、内田村、鶴舞村、高滝村、富山村、平三村、里見村、白鳥村発足。
1891年(明治24年)
鶴舞村が町制施行で鶴舞町に。五井村が町制施行で五井町に。
1892年(明治25年)
鶴牧村が町制施行で姉崎町に。
1897年(明治30年)
郡制施行。
1912年(明治45年)
国鉄木更津線が開業し、八幡宿駅・五井駅・姉ケ崎駅設置。
1923年(大正12年)
郡会廃止。
1924年(大正13年)
明治村が町制施行で牛久町に。
1925年(大正14年)
小湊鉄道開業。
1926年(大正15年)
郡役所廃止。
1947年(昭和27年)
4月1日 - 学校教育法施行により以下の公立学校が開校。
現姉崎地区:姉崎町立姉崎中学校
現市原地区:八幡町立八幡中学校、菊間村立菊間中学校、市原村立市原中学校
現五井地区:五井町立五井中学校、東海村立東海中学校、千種村立千種中学校〈初代〉
現三和地区:市西村立市西中学校、養老村立養老中学校、海上村立海上中学校
現市津地区:市東村立市東中学校、湿津村立湿津中学校
現南総地区:牛久町立牛久中学校、戸田村立戸田中学校、鶴舞町立鶴舞中学校、平三村立平三中学校、内田村立内田中学校
現加茂地区:高滝村立高滝中学校、富山村立富山中学校、里見村立里見中学校、里見村立月出中学校、白鳥村立白鳥中学校
1954年(昭和29年)
高滝村、富山村、里見村、白鳥村が合併して加茂村発足。東海村が五井町に吸収合併。
1955年(昭和30年)
2月11日 - 湿津村と市東村が合併し市津村発足。
3月30日 - 千種村が五井町に吸収合併。
3月31日
八幡町と菊間村が合併し市原町発足。市西村と養老村が合併し三和町発足。
五井町の一部が姉崎町に編入。
以下の公立学校が閉校。
千種村立千種中学校〈初代〉
1956年(昭和31年)
海上村が三和町に吸収合併。市原村が市原町と五井町に分割併合。三和町の一部が五井町に編入。
1961年(昭和36年)
市津村が町制施行で市津町に。
1962年(昭和37年) …