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加古川市: 歴史

加古川市: 歴史

=== 加古川市制前 ===
古代は一地方豪族の領地であったと思われ、今も市内の各所に古墳・廃寺等の歴史遺物が残る。
5世紀初頭 西条古墳群(行者塚古墳・人塚古墳・尼塚古墳など)が、築造される。
589年 - 聖徳太子により刀田山四天王寺聖霊院(鶴林寺)が創建されて、門前町ができる。
718年 - 鶴林寺の七堂伽藍が、整う。
749年 - 孝謙天皇の勅願所として宗佐厄神八幡神社が、創建される。
836年 - 教信寺が賀古駅家(かこのうまや)の北辺に開基される。
1184年 - 糟屋有数が加古川城を築城する。
1300年代から1310年代 - 文観房殊音(弘真)が開拓事業や加古川五ヶ井堰の修築事業を指揮する(金子哲説)。
1577年 - 羽柴秀吉が加古川城を三木城攻め(三木合戦)の基地にする。
1593年 - 糟屋武則が加古川城城主になる。
1600年 - 糟屋武則が関ヶ原の戦いで西軍に味方した為に取り潰されて、加古川城も廃城となる。
江戸時代 - 加古川宿が置かれて、西国街道の宿場町として発展する。
1885年 - 多木化学が操業を開始する。
1899年 - 日本毛織が操業を開始する。
1933年 - 多木浜洋館が竣工される。

1950年(昭和25年)
6月15日 - 旧加古郡の町村が合併により市制施行して、加古川市が発足する。
9月18日 - 現在の市章を制定する。
1956年(昭和31年)10月 - 日本毛織グラウンドが第11回国民体育大会のハンドボール競技会場となる。同月29日、昭和天皇、香淳皇后が競技会場に行幸。
1965年(昭和40年) - 人口が10万人を突破する。
1967年(昭和42年) - 臨海部の埋め立てが開始される。
1970年(昭和45年)
神戸製鋼所加古川製鉄所が操業を開始する。
5月17日 - 市旗を制定する。
1970年代 - 人口増加率が高くなり全国一の人口増加率を記録する。
1973年(昭和48年)
加古川市民会館がオープンする。
7月2日 - ブラジル連邦マリンガと姉妹都市を提携する。
1979年(昭和54年) - 人口が、20万人を突破する。
1985年(昭和60年) - 加古川総合文化センターが開館する。
1992年(平成4年)5月4日 - ニュージーランドワイタケレと姉妹都市を提携する。
1995年(平成7年) - 第4回全国川サミットが開催される。
2000年(平成12年) - 加古川海洋文化センターが開館する。
2001年(平成13年) - ヤマトヤシキ加古川店がオープンする。
2002年(平成14年)4月1日 - 特例市に移行する。
2005年(平成17年) - 市立総合体育館がオープンする。
2010年(平成22年) - 第19回全国川サミットが開催される。

加古川町を中心とする大合併構想はすでに大正期からあったが、1945年(昭和20年)9月に姫路に進駐したニコラス・D・ラモート中佐は姫路市及び周辺の市町村に対し合併を指示(ラモート合併)、東播地区に対しても「大播磨市」構想(加古川町・野口村・別府町・尾上村・高砂町・荒井村・伊保村・曽根町・阿弥陀村・西神吉村・東神吉村・米田町の12町村による大合併)として同様の圧力をかけた。加古川町・別府町・高砂町などはこの原案に熱心であったとされるが、財政が比較的豊かであった荒井村は反対に回り、ラモート中佐も帰国したことでこの構想は暗礁に乗り上げてしまう。しかしながら、この構想はその中に含められる市町村の数を変化させながら、加古川市の合併活動および市政発展の理念としてその中に生き続けることになる。

神戸市・明石市・姫路市が積極的に周辺町村を吸収合併する計画を進める中で加古川町長・浅見久夫は「あの荒廃した戦災大都市の末端に編入されて当地方は解体の憂目を見なければなりません」として3市の動きを牽制、独自の市制施行を急ぐこととなる。1949年(昭和24年)11月、加古川町は野口村・神野村・尾上村・別府町に合併-市制施行の申し入れ、次いで米田町・東神吉村・西神吉村にも合併-市制施行の申し入れを行い「大播磨市」構想実現に向けての第一歩を踏み出した。しかし米田町はこの枠組みを嫌って一度なした仮調印を破棄、東神吉村・西神吉村もこれに同調した。さらに野口村と中学校一部事務組合で関係の深かった平岡村がこの枠組みに参加する一方、合併に熱心だった別府町が町内をまとめることができずに枠組みから離脱、高砂町がこの枠組みに参加を希望し町議会で可決しながら住民の反対で頓挫するなど、紆余曲折はありながら1950年に5町村による合併で加古川市が成立した。

1950年(昭和25年)6月15日 - 加古郡加古川町・神野村・野口村・平岡村・尾上村が合併して発足。
1951年(昭和26年)10月1日 - 加古郡別府町を編入。
 別府町の合併を巡る経緯については別府町 (加古川市)#歴史を参照。
1955年(昭和30年)4月1日 - 加古郡八幡村・印南郡上荘村・平荘村を編入。
 八幡村の合併を巡る経緯については八幡村 (兵庫県加古郡)#歴史を参照。
1956年(昭和31年)9月30日 - 印南郡東神吉村・西神吉村および米田町の一部(大字平津・船頭)を編入。
 米田町の合併を巡る経緯については米田町#分割合併を参照。
1979年(昭和54年)2月1日 - 印南郡志方町を編入。これにより、印南郡は消滅。
 志方町の合併を巡る経緯については志方町#沿革を参照。

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Quelle: Text: Wikipedia – „加古川市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Musounoken (talk) 13:17, 13 August 2012 (UTC)]], CC BY-SA 3.0 – Wikimedia Commons