平塚市: 歴史
旧石器時代 - 平塚市内の旧石器時代の遺跡は、大磯丘陵北東端の原口遺跡が知られ、関東ローム層中から相模野第Ⅲ・第Ⅳ期(28000年前~21000年前)にかけての、石器が出土している。
縄文時代 - 五領ヶ台地区や万田地区などに集落遺跡が出現する。市内では古くから大磯丘陵東端部の緩傾斜地ある万田地区にて貝類が採集されており、地元では「万田貝殻坂」呼称されていた。1898年には東京大学人類学研究室が付近の横穴墓の調査に際して貝塚の確認を試みたが果たせなかった。しかし1924年の道路拡幅にあたり大量の遺物が出土し、先の人類学研究室によって現地調査が行われた。これは平塚市内最初の縄文遺跡調査及び確認である。五領ヶ台貝塚では竪穴建物跡や貝塚が検出され、1972年(昭和47年)に国の史跡に指定された。ここから出土した縄文土器は五領ヶ台式土器と称され、縄文時代中期の土器の代表的な様式のひとつとされている。ほかに真田・北金目遺跡群や原口遺跡・万田貝殻坂貝塚・王子ノ台遺跡などが知られる。
弥生時代 - 原口遺跡、真田・北金目遺跡群、王子ノ台遺跡などで集落跡や方形周溝墓群が検出されている。
古墳時代 - 古墳前期(4世紀)には、真土大塚山古墳や塚越古墳が築造される。大塚山古墳は墳形が判明しないまま消滅したが、ここからは三角縁神獣鏡やその他の貴重な遺物が出土している。塚越古墳は、2007年(平成19年)の調査で形状が前方後方墳であることが判明した。
奈良時代(8世紀ごろ)- 旧大住郡にあたる平塚市域は、古代相模国の国府所在地の候補地となっているが、1989年(平成元年)に平塚市四之宮の稲荷前A遺跡で「国厨」「大住厨」銘のある墨書土器が出土したことや、2004年(平成16年)の湘南新道建設事業に伴う発掘調査で同じ四之宮の六ノ域・坪ノ内遺跡から国府の「脇殿」と見られる8世紀前葉の大型掘立柱建物跡が検出されたことなどから、考古学の成果では、相模国府は成立当初から平塚市四之宮付近にあった可能性が有力化してきている。
9世紀終から10世紀初頭 - 伝承によると、この頃平真砂子(高望王の妹)がこの地で没する(「平塚の塚」の項に詳述)。
11世紀から13世紀から前半(和田合戦まで) - 高望王を祖とすると号する中村党の土屋宗遠が土屋周辺を、同じく高望王系である三浦党の岡崎義実(中村宗平の女婿)が岡崎周辺、その子佐奈田義忠が真田周辺を支配。
建久9年(1198年) - 相模川に架けた橋を源頼朝が馬で渡ろうとしたところ落馬し、これが翌年の頼朝の死去につながったという説があり、以降の相模川は馬入川の別名で呼ばれることになる。ただし、当時の流域は茅ヶ崎市であったという説がある。詳しくは旧相模川橋脚を参照。
応永23年(1416年) - 上杉禅秀の乱の功により中村党系の勢力は所領を失い大森氏の領するところとなる。
永正9年(1512年) - 北条早雲が三浦氏の岡崎城攻略。以降、小田原北条氏(後北条氏)の領するところとなる。
天正18年(1590年) - 豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼし、徳川家康が入封。
文禄5年(1596年) - 徳川家康により中原御殿(現 平塚市立中原小学校 - 日枝神社)が造営される。現代の中原街道という街道名はこれに由来する。また、同時期に造営された小杉御殿は現在の川崎市 中原区にあった。伝承ながら御殿裏門が市内南原の善徳寺三門に移築され遺構として残る。
1878年(明治11年) - 真土事件が起こる。
1881年(明治14年) - 湘南社結成。国会期成同盟が全国統一組織として自由民権運動を推進していたが、神奈川では独自に活動がおこなわれていた。その先鞭をつけたのがこの湘南社であり、現在の行政区分で言うと大磯町に本部を、秦野・平塚・伊勢原に支所(講学会場)を設置した。のちに県下初の盲学校・私立中郡盲人学校を設立した宮田寅治などが主要メンバーとして知られる。
1887年(明治20年)7月11日 - 官設鉄道(東海道鉄道)平塚駅開設。駅舎は関東大震災、平塚空襲と失われ、空襲後に再建された駅舎も1973年に建て替えられ、現在の駅舎(駅ビル)ラスカ平塚となっている。
1945年(昭和20年)7月16日 - 平塚大空襲。陸軍戦闘機「疾風」で有名な日本国際航空工業や、第二海軍火薬廠、横須賀海軍工廠分工場、第二海軍航空廠といった軍直轄の軍需工場の密集する平塚市は、当時の市域(現在の東海道線平塚駅を中心として概ね半径2キロの地域。旧平塚市)における面積の約8割、戸数の約6割を焼失、死者237名、重軽傷者268名、罹災戸数7,678戸の大被害を受ける。このとき落とされた爆弾(主に焼夷弾)の数は1162.5トン、447,716本で東京都八王子についで第二位となった。
1951年(昭和26年)
3月24日 - 前年に開業した平塚競輪場で第1回全国ホルスタイン種牛共進会が開催。昭和天皇が行幸。
7月 - 第1回七夕祭り開催。前年に開催された(平塚大空襲の)復興祭りが起源とされる。集客数は約300万人であり、これは仙台の七夕祭りの約220万を抜いて全国1位である。
2020年(令和2年) - 新型コロナ感染症の拡大に伴い緑化まつりや七夕祭りなどのイベントが中止、公共施設などに使用制限、感染者の発生に応じて小中学校の臨時休校も行われるなど市民生活に大きな影響が出た。
2022年(令和4年) - 神奈川県は明石町、宝町、錦町、紅谷町を暴力団排除特別強化地域に指定した。
2024年(令和6年)
8月8日 - 南海トラフ地震臨時情報が初めて発出。海水浴場が一時閉鎖された。
9月2日 - 中学校給食が始まった。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、大住郡平塚宿・平塚新宿の区域より平塚町が成立する。
1896年(明治29年)4月1日 - 郡の統廃合に伴い、中郡の所属となる。
1929年(昭和4年)4月1日 - 須馬町と新設合併し、改めて平塚町が発足。
1932年(昭和7年)4月1日 - 市制施行、平塚市となる。
1954年(昭和29年)7月15日 - 中郡旭村を編入。
1956年(昭和31年)9月30日 - 中郡大野町・金田村・神田村・城島村・土沢村および岡崎村の大部分(馬渡・大句地区を除く)を編入。
1957年(昭和32年)10月1日 - 中郡金目村を編入。