山形市: 歴史
=== 古代から鎌倉時代 ===
古墳時代の集落跡(嶋遺跡、国の史跡)が山形市北西部で見つかっている。8世紀に入ると出羽国最上郡が設置される。702年(大宝2年)には、国司の藤原豊光の娘・阿古耶姫によって千歳山と命名。967年(康保4年) に編纂された『延喜式』では、多賀城から秋田城へと向かう官道に「最上駅」があり、これは現在の山形市域にあたる「最上郷」のいずれかにあったものと推定されている。市域の大部分は皇室領荘園の大山荘であり、北西(須川以西)に摂関家領の大曾祢荘があった。
鎌倉時代に入ると大曾祢荘には安達氏が地頭として任じられた。土着した一族は大曾祢氏を名乗り、中央政界で引付衆などとして活躍するが霜月騒動により滅んだ。
1356年(延文元年)に、斯波兼頼が羽州探題として山形に入部。子孫は、最上郡の名称をとって最上氏を名乗るようになり、最上氏11代目当主の最上義光が山形を拠点に最上・村山地方を統一。現在の基礎となる山形城と城下町の町割を整備した。山形城が位置したのは扇状地の西端で、その東部を走る羽州街道に沿って七日町・八日町・十日町・旅籠町などの商人町、宿場町が並んだ。また、町人町は東方の笹谷街道、北西に向かう六十里越街道に沿って並び、東裏通りと北部には職人町が位置していた。なお、太閤検地のころ、南の最上郡と北の村山郡の名称入れ替えとともに再編が行われ、旧最上郡が村山郡に、旧村山郡の北部が最上郡、旧村山郡の南部が村山郡となった。
江戸時代初期に最上氏が転封された後は、鳥居忠政が山形藩主となって、馬見ヶ崎川の改修などが行われた。以後、幕末まで、保科氏、松平氏など複数の領主の入れ替わりが続き、天保の改革に失敗した水野忠邦の子忠精が山形に転封され、版籍奉還まで水野氏5万石が続くことになった。山形市西部の須川沿いの船町は、最上川水運において、中流域で有数の港であった。
廃藩置県後は、村山郡山形が山形県の県庁所在地となり、その後、複数の県の統合を経て、現在の範囲の山形県でも県庁所在地となった。
1889年(明治22年)4月1日 - 市制施行。同年7月1日の山形市役所の開庁をもって市制記念日とする。
1898年(明治31年)3月28日 - 陸軍歩兵三十二連隊を旧山形城址に誘致。
1901年(明治34年)4月11日 - 山形駅開設。
1905年(明治38年)8月19日 - 日露戦争の樺太戦のロシア兵捕虜を収容するべく山形収容所を開設。日露戦争で最後に開設された捕虜収容所。同年12月23日閉所。
1911年(明治44年)5月8日 - 市北大火。1316戸焼失。その他諸官庁、学校、病院なども焼失。県庁、市役所ほか主要建造物が全焼。
1915年(大正4年) - 山形県庁舎復旧。
1923年(大正12年) - 市営による上水道が通水する。
1927年(昭和2年) - 山形市立第一小学校鉄筋コンクリート製新築校舎落成(山形市で最初の鉄筋コンクリート建築物)「全国産業博覧会」開催 [1]。
1933年(昭和8年)7月25日 - 気温40.8℃を記録。以降、2007年(平成19年)8月16日に岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で40.9℃を観測されるまで、日本の公式記録における気温の最高記録となる。
1936年(昭和11年)11月30日 - NHK山形放送局開局。
1942年(昭和17年)10月 - 初代「山形市歌」(作詞:結城哀草果、作曲:信時潔)を制定。
1952年(昭和27年) - 第7回国民体育大会開催。10月21日にはボクシング競技の会場となった市立第五中学校に昭和天皇と香淳皇后が行幸啓。
1953年(昭和28年)10月15日 - 民放ラジオ山形(現山形放送)開局。
1954年(昭和29年)10月1日 - 市章制定。
1957年(昭和32年)11月7日 - 現行の「山形市民の歌」(作詞:神保光太郎、作曲:山形大学教育学部音楽科)を制定。
1960年(昭和35年)5月10日 - 上山市で行われた植樹行事(後の全国植樹祭に相当)に出席した昭和天皇、香淳皇后が市内を行幸啓。
1964年(昭和39年)2月1日 - 七日町商店街振興組合が設立。
1967年(昭和42年)8月1日 - 山形駅を民衆駅として改築。
1972年(昭和47年)6月15日 - 山交ビル・バスターミナル開業。
1974年(昭和49年)7月1日 - 市の木、市の花を定める。
1992年(平成4年)
1月26日 - 第47回国民体育大会開催(~10月9日)。
7月1日 - 山形新幹線開業。山形橋上駅新築供用。
2001年(平成13年)4月1日 - 特例市に移行。
2019年(平成31年)4月1日 - 中核市に移行。
1889年(明治22年)4月1日 - 市制施行に伴い、南村山郡山形城下31町の区域をもって山形市が発足。
1931年(昭和6年)4月1日 - 南村山郡東沢村の一部(大字小白川)を編入。
1943年(昭和18年)4月1日 - 東村山郡鈴川村・千歳村を編入。
1954年(昭和29年)
3月31日 - 南村山郡飯塚村を編入。
6月1日 - 南村山郡椹沢村を編入。
10月1日 - 東村山郡大郷村・金井村・高瀬村・楯山村・出羽村・明治村・南村山郡滝山村・東沢村・南沼原村を編入。
11月1日 - 南村山郡金井村を編入。
1955年(昭和30年)4月1日 - 東村山郡大曽根村の一部(古館の一部)を編入。
1956年(昭和31年)
4月1日 - 東村山郡大曽根村を編入。
6月1日 - 東村山郡山寺村の一部(大字山寺)を編入。
12月23日 - 南村山郡柏倉門伝村・蔵王村・村木沢村・本沢村を編入。
1957年(昭和32年)
3月21日 -山形市のうち、蔵王金瓶を上山市に編入。
10月20日 - 山形市のうち、大字松原の一部を上山市に編入。
1989年(平成元年)6月1日 - 天童市との境界を変更。
1991年(平成3年)3月25日 - 東村山郡中山町との境界を変更。
1994年(平成6年)4月18日 - 天童市との境界を変更。
1997年(平成7年)8月20日 - 東村山郡山辺町との境界を変更。
2012年(平成24年)2月1日 - 上山市との境界を変更。