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春日部市: 歴史

春日部市: 歴史

=== 中世 ===
古代から中世までは下総国葛飾郡に属す。
戦国期までは古隅田川以東は下総国葛飾郡下河辺庄内とされるが、近世初期には武蔵国埼玉郡に属したとされる。

江戸時代:日光街道粕壁宿の宿場町として栄える。徳川氏が江戸を根拠地とした時より徳川氏領であり、近世の大半の期間は御料所であった。
寛永4年(1627年)から寛永14年(1637年)の間に、下総国葛飾郡のうち大落古利根川左岸と庄内古川右岸の間が武蔵国葛飾郡に移った。
承応3年(1654年)下総国葛飾郡小田辺村が中野村に改称した。
「武蔵国郡村誌」(明治8年(1875年)埼玉県庁編)には、「古来新方領に属し元春日部と書し中古糟壁町と称し後ち又粕壁宿と唱ふ」「相伝ふ新田左中将義貞の家臣春日部治部少輔時賢なる者当所を領し居住せしにより此唱ありと云ふ、正保の田園簿には糟壁町と書し元禄の図には糟を粕に改む而して町を宿に改めし年代未だ詳ならず」とある。

粕壁宿 - 大名領(岩槻) → 元和5年(1619年)より御料所
梅田村 - 大名領(岩槻)
内牧村、新方袋村 - 大名領(岩槻) → 宝永8年(1711年)より御料所
吉郎兵衛新田 - 享保17年(1732年)より御料所
中曽根村、道順川戸村、上蛭田村、下蛭田村、花積村、道口蛭田村 - 大名領(岩槻) → 宝暦6年(1756年)より御料所
増戸村、増富村、上大増新田、下大増新田 - 大名領(岩槻)
東谷原新田、西谷原新田 - 御料所 → 宝永2年(1705年)より大名領(岩槻)
市野割村、大場村 - 御料所 → 宝永年間より大名領(岩槻) → 宝暦年間より御料所
薄谷村 - 御料所 → 宝永年間より大名領(岩槻)
中野村、大枝村 - 御料所
増田新田 - 大名領(岩槻) → 宝暦6年(1756年)より御料および大名領(岩槻)
大畑村 - 御料所 → 正徳年間より御料所および大名領(岩槻) → 宝暦6年(1756年)より御料所
備後村 - 御料所 → 元禄年間より御料所および旗本領(計五給)
赤沼村 - 御料所および寺社領
銚子口村、藤塚村、牛島村、新川村、樋堀村、樋籠村、不動院野村 - 御料所
八町目村 - 御料所 → 元禄年間より御料所および旗本領
小淵村 - 御料所および寺社領 → 元禄年間より御料所および旗本領および寺社領
西親野井村、塚崎村、西宝朱花村 - 御料所
木崎村 - 旗本領 → 御料所および旗本領
芦橋村 - 旗本領 → 一橋家領および大名領(駿河国田中)および旗本領
倉常村 - 御料所および旗本領
上吉妻村、下吉妻村 - 旗本領
小平村、神間村 - 御料所 → 旗本領
榎村 - 御料所 → 一橋家領
立野村 - 御料所
椚村、上金崎村 - 御料所 → 御料所および旗本領
金崎村 - 御料所→ 旗本領 → 御料所および旗本領
上柳村、永沼村 - 御料所 → 御料所および旗本領
下柳村、大衾村、西金野井村、米島村、新宿新田、中野村、飯沼村、米崎村、水角村、赤崎村 - 御料所

1868年(明治元年):御料所・旗本領に武蔵知県事、下総知県事が置かれた。武蔵知県事の管轄に入ったのは武蔵国埼玉郡の宿村であり、下総知県事の管轄に入ったのは武蔵国葛飾郡及び下総国葛飾郡の村である。
1869年(明治2年)
武蔵知県事が大宮県・小菅県・品川県に分割された。上蛭田村、花積村、中曽根村、新方袋村を除く宿村は大宮県の管轄に入り、上蛭田村、花積村、中曽根村、新方袋村は岩槻藩に編入された。その後、大宮県は同年中に浦和県に改称。下総知県事は葛飾県となった。
9月:粕壁三枚橋に第五区長役場設置。(大小区制)
版籍奉還により諸侯領(旧大名領)に明治政府の下部組織としての藩が成立した。これにより、岩槻藩などの藩が成立した。
浦和県(かつての御料所・旗本領を管轄)の指示により粕壁宿に埼玉郡粕壁(糟壁)組合(行政組織)が作られる。
組合が親村(戸数が少ない村があり、行政運営を隣接する戸数が多い村が管理をしていた)してあるいは寄場(自治会や自警団など)そこの名主を寄場総代として組内各町村の名主を諸般(戸籍や租税など)管理をしていた。
1871年(明治4年)
7月14日(8月29日):岩槻藩が岩槻県となる。後にいう廃藩置県である。
11月:浦和県・岩槻県・葛飾県の一部(武蔵国葛飾郡北部)・その他の県を統合して埼玉県、葛飾県の大半(武蔵国葛飾郡・香取郡・海上郡・匝瑳郡を除いた区域)・その他の県を統合して印旛県となる。
1872年(明治5年)
3月:埼玉県は大区小区制を制定した。現在の春日部市域のうち埼玉県庁管轄下の1宿34村は四區及び五區に属した。五區は現在の行政区域だと春日部市域の他、越谷市域、さいたま市岩槻区域(旧岩槻市)、白岡市域の村も含んだ。
四區(松伏付近) - 葛飾郡赤沼村、銚子口村、藤塚村、牛嶋村、新川村、樋堀村、樋籠村、不動院野村
五區(粕壁付近)
春日部市域 - 埼玉郡粕壁(糟壁)宿、内牧村、吉郎兵衛新田、梅田村、大場村、大畑村、大枝村、道順川戸村、上蛭田村、下蛭田村、道口蛭田村、中曽根村、新方袋村、増富村、増戸村、上大増新田、下大増新田、薄谷村、東谷原新田、西谷原新田、市ノ割村、中野村、備後村、増田新田、花積村と葛飾郡小渕村、八丁目村
越谷市域 - 三之宮村、大道村、大竹村、恩間村、大泊村
さいたま市岩槻区域 - 相野原村、表慈恩寺村、慈恩寺村、裏慈恩寺村、藤助新田、鹿室村、徳力村、小溝村、平野村、長宮村、大野島村、増長村、大口村、大谷村、大戸村、新方須賀村、大森村
白岡市域 - 爪田ヶ谷村、彦兵衛新田村、太田新井村、岡泉村
7月:粕壁郵便取扱所を新宿組(本町・粕壁東2丁目)に設置。
9月:粕壁に浦和県支庁設置。
10月8日:陸羽道中運輸馬車会社が営業運行開始。(千住から野州宇都宮まで)
10月10日(1872年11月10日):粕壁宿最勝院において粕壁学校(現在の春日部市立粕壁小学校)が開校。
1873年(明治6年)
内牧村鷲香取神社近辺に内牧第114小学校(現在の春日部市立内牧小学校)が開校。
1874年(明治7年)
粕壁宿と称し粕壁仲町の民家宅に戸長役場を置く。
八丁目村と称し戸長役場を置く。
第五区警察付属屯所を粕壁におく。
12月28日:吉郎兵衛新田が内牧村の一部に編入。東谷原新田と西谷原新田が合併し谷原新田となる。
1875年(明治8年)
8月:下総国葛飾郡庄内領(江戸川右岸)の43村が千葉県庁の管轄から埼玉県庁の管轄に移管。大区小区制では埼玉縣第二十五區として行政区分された。埼玉縣第二十五區のその他の地域は現在の幸手市の一部、北葛飾郡杉戸町の一部、松伏町の一部が当該地域だった。このうち春日部市の区域は飯沼村、新宿新田、中野村、米島村、上柳村、下柳村、大衾村、西金野井村、立野村、小平村、椚村、上吉妻村、下吉妻村、神間村、榎村、倉常村、芦橋村、木崎村、塚越村、西宝珠花村、西親野井村、米崎村、赤崎村、水角村、永沼村、金崎村、上金崎村の27村、幸手市の区域は中島村、花島村、槙野地村、細野村の4村、杉戸町の区域は目沼村、上木津内村、下木津内村、宮前村、鷲巣村、木野川村、屏風村、深輪村、椿村の9村、松伏町の区域は金杉村、魚沼村、築比地村の3村である。
1878年(明治11年)7月22日:武蔵国埼玉郡、武蔵国葛飾郡の埼玉県庁管轄区域(江戸川西岸)に北葛飾郡、下総国葛飾郡の埼玉県庁管轄区域に中葛飾郡と改称。大区小区制は郡区町村編制法の施行により廃止。
1879年(明治12年)
埼玉郡が北埼玉郡と南埼玉郡に分割。郡区町村編制法により武蔵国埼玉郡の南部に南埼玉郡と称する。葛飾郡を北葛飾郡と称する。中葛飾郡は北葛飾郡役所で業務を代行していた。南埼玉郡役所を南埼玉郡岩槻町(現在のさいたま市岩槻区。現在のさいたま市岩槻区役所周辺)に設置。北葛飾郡役所を北葛飾郡杉戸宿(現在の北葛飾郡杉戸町)の宝性院で開設。
中曽根村が南中曽根村に改称した。
1883年(明治16年)
粕壁宿三枚橋(現在の粕壁東6丁目あたり)に越ヶ谷警察署粕壁分署を置く。
南埼玉郡・北葛飾郡立粕壁中学校(埼玉県立春日部高等学校の前身)を粕壁小学校に開設。
1884年(明治17年):連合戸長が置かれる。春日部市域を管轄する連合戸長は粕壁宿、上蛭田村、備後村、小渕村、八丁目村、藤塚村、魚沼村、下柳村、西宝珠花村、槙野地村に置 …

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Quelle: Text: Wikipedia – „春日部市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: Ebiebi2, Public domain – Wikimedia Commons