Heimatgeschichte · Takarazuka ·

宝塚市: 歴史

宝塚市: 歴史

=== 地名の由来 ===
宝塚の「塚」は、「盛り土をした墓(古墳)」を意味する。宝塚は文字通り古墳の名称であるが、宝塚には古墳が多くあり、宝塚と呼ばれていた古墳に関しては諸説あって場所が特定されていない。江戸時代には「宝塚」の地名が使われていた。(後述)

旧川面村川面に宝塚と呼ばれていた古墳があり、近隣の新田(現:御殿山)も宝塚と呼ばれた。1672年の検地記録に、川面村の小字として宝塚東・宝塚南・宝塚北が記されている。
宝塚山(ほうちょうざん)宝泉寺(現:宮の町)の地に、神功皇后の母である高額比売命(たかぬかひめのみこと)を祀った古墳があり、この高額塚(たかぬかつか)が宝塚(たからづか)へ転訛した。
旧米谷村(現:米谷)に塚があり、この塚の許で物を拾うと必ず幸せになったため、宝塚と呼ばれていた。
旧良元村伊孑志に宝塚と呼ばれていた古墳があった(現:宝梅)。
このように古くからある宝塚の名称は、明治になって温泉名や駅名となった後、1951年(昭和26年)に初めて市町村名として採用される。

==== 先史・古代 ====
4世紀頃から7世紀にかけて、多くの古墳が造られる。
7世紀初期より、中山寺、売布神社などの寺社が創建される。
10世紀後半、摂関家の私牧(まき)として川面牧が成立する。

12世紀、川面牧が荘園化し川面荘となり、米谷庄など新たな荘園も成立する。
1223年(貞応2年)「小林の湯」(後の宝塚温泉)の記録がなされる。
15世紀末、小浜庄が成立、毫摂寺創建により小浜が寺内町として発達する。

武庫川左岸は摂津国川辺郡、右岸は同武庫郡に属す。
16世紀後半、山本村で接ぎ木手法が発見され、豊臣秀吉の庇護の下、植木産業の礎が築かれる。
17世紀、有馬街道の宿場町として小浜宿が設けられ、徳川幕府の庇護の下繁栄する。
小浜宿の設立とともに酒造が発達(小浜流)。灘五郷に先立つ大酒造業地となるが、18世紀から次第に灘五郷へ譲渡され消滅。

1887年(明治20年) - 宝塚温泉が開業。
1897年(明治30年) - 武庫川が氾濫する。 阪鶴鉄道(現在の福知山線(JR宝塚線)大阪~宝塚間)が開通。
1902年(明治35年) - 宝来橋完成。
1910年(明治43年) - 箕面有馬電気軌道(現在の阪急宝塚本線)が開通。(阪神間モダニズム)
1914年(大正3年)4月1日 - 宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)第1回公演が挙行。
1935年(昭和10年)7月5日 - 集中豪雨により紅葉谷、宝塚南口で冠水。宝塚ホテルで5尺の深さとなる。

1945年(昭和20年)9月26日 - アメリカ軍第1軍第33師団が市内に進駐。
1954年(昭和29年)4月1日 - 川辺郡宝塚町・武庫郡良元村が合併して宝塚市が発足。同日に市章および「宝塚市歌」を制定。
1955年(昭和30年)3月10日 - 川辺郡長尾村を編入。
1955年(昭和30年)3月14日 - 川辺郡西谷村を編入。
1955年(昭和30年)4月1日 - 大字荻野・荒牧・鴻池・大野新田(旧・長尾村の一部)を伊丹市に編入。
1975年(昭和50年) - 年間を通じて交通事故による死者率が都市別で全国最小(10万人当たり1.3)を記録。
1995年(平成7年)1月17日 - 阪神・淡路大震災によって、100人を超える犠牲者を出す。
2003年(平成15年)4月1日 - 特例市に移行。
2004年(平成16年)4月1日 - 市制50周年。
2013年(平成25年)7月12日 - 宝塚市役所放火事件。午前9時40分頃、宝塚市役所本庁舎1階の市税収納課付近で男がポリタンク入りのガソリンと火炎瓶を投げつけて放火し、1階の一部を焼損。6名が負傷。
2018年 (平成30年) 3月18日 - 新名神高速道路 川西インターチェンジ-神戸ジャンクション開通により、宝塚北サービスエリア開業。

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Quelle: Text: Wikipedia – „宝塚市“, Autorinnen und Autoren (Versionsgeschichte), CC BY-SA 4.0 · Foto: 663highland, CC BY 2.5 – Wikimedia Commons