荒川区: 歴史
江戸時代は農村だった。明治期、荒川より取水する工場が建設され、工業化が進んだ。
現在の南千住駅の西に江戸の三大刑場の一つ、小塚原刑場があった。
1932年10月1日、東京市域拡張に伴い、北豊島郡南千住町・三河島町・尾久町・日暮里町が東京市へ編入、4町の区域をもって東京市荒川区が発足。区の発足から1945年ごろまで、東京市内で最も人口の多い区であった(当時の人口はおよそ28〜32万人)。
1947年5月3日、地方自治法が施行され、荒川区は特別区となった。
1950年10月1日に「荒川区歌」が制定されているが、1982年に区制50周年を記念して区民の歌「あらかわ 〜そして未来へ」が作成されて以降は後者のみが演奏されるようになっている。
現在は工場跡地を活用した大規模な再開発や公園整備が行われている。特に南千住地区の再開発は延面積で東京都第1位の再開発規模である。これに伴い、大規模なマンションの建設ラッシュが続いているため、ファミリー層を中心とした人口流入が見られる。1990年代まで減少していた区全体の人口も増加に転じた。加えて、地価も急上昇し、近年の住宅地地価の上昇率は東京都第1位となっている。
河川名の「荒川」を由来とする。1965年(昭和40年)3月24日に河川法制定に伴い荒川放水路が荒川本流となる前は、現在の隅田川が荒川本流であった(白鬚橋の上流、南千住で大きく蛇行する屈曲部から下流が俗称として「隅田川」と呼ばれていた)。河川法によって岩淵水門から下流部の荒川支流がすべて正式に隅田川と呼ぶようになった結果、区内から荒川が流れる地域は完全になくなったが、区名の変更はされていない。
なお、当初東京市では区役所設置予定地を区名として採用することを原則としていたことで、旧三河島町が区役所設置予定地であったことから「三河島区(みかわしまく)」が最初の区名原案だった。